建築家・五十嵐淳|理性を超える空間
聞き手=小林章太、田中健一郎、田原迫はるか、山口大樹
2017.7.13 京都大学 竹山研究室にて
traverse18のリレーインタビューでは五十嵐淳氏が柏木由人氏から受け継いだ。
地域の「壁」、国の「壁」、建築要素の「壁」を超えて、建築に存在する「普遍解=壁」を追求して北海道を拠点に世界で活動されている五十嵐氏に、壁に関して多角的に切り込む。
― 壁を思考する
五十嵐 あなたたちは壁をどのように考えていますか。
山口 一言で壁と言っても様々だと思います。物理的な壁はもちろん、空間と空間の境界という、目に見えないものもある意味で壁と捉えられると思います。
五十嵐 根本的なことですが、垂直面を壁、水平面を屋根と呼びますね。本来、壁や屋根は地球空間との関係性を人間が本能的に感じ取ることで生み出したものです。そのような原初的な例の一つとして、アイヌ民族の伝統的な仮小屋で、「クチャ」というものがあります。猟の拠点、あるいは獲れた鮭などをストックする共有の場所だったそうですが、周辺の草や枝を使って屋根とも壁とも呼べるものをつくっています。インディアンのテントにもよく似ていますね。それに対して現代は、熱環境エネルギー問題や社会的必要性など様々な制約のもとで壁が建てられています。極端な気候の地域では断熱や空調のために壁が必要であり、たとえ穏やかな気候の地域であってもセキュリティやプライバシーなどの問題があるため壁を無くすことはできません。建築家にはそういった制約を理論的に用いて壁を建てる人がいる一方、制約から脱出し、求める空間のために壁を建てる人もいます。
例えばファンズワース邸は柱とスラブで構成され、壁は無く、ガラスで覆われています。ミースは壁を建てることを避けてガラスを選択したと思っていたのですが、実際に訪れて見るとものすごく質感があるガラスなのです。向こうは見えるけれどもはや壁のように感じられ、まるで金魚蜂に入れられてしまったように強烈な境界面ができていた。体感としての透明感は一切感じませんでした。もしかしたら薄いレースのカーテンが引かれている方がよほど透明感を感じるのかもしれない。反対にルイス・カーンは見るからに存在感のある分厚い壁を多用し、ルイス・バラガンの建築においては壁そのものが空間をつくり出している。どのような壁が必要か、ではなくどのような空間を意図しているかが重要なのだと思います。
小林 現代における空間を設計するための「壁」とはどのようなものだと考えていらっしゃいますか。
五十嵐 最近では、平田晃久さんの「からまりしろ」という概念や、藤本壮介さんの白と黒の間の「グレー」なゾーンに対する思考のように、新たな空間を模索する試みがなされています。彼らは総じて壁、或いは空間を分解、再解釈してある種のレイヤーを生み出そうとしているのではないでしょうか。
僕もレイヤーを形成するひとつの手段として、風除室というものをずっと考えてきました。イギリスの民家によく見られるサンルームもそうですが、レイヤーを作り出す余白の空間があったほうが過ごしていて気持ちがいいですよね。人間がこういった余白の空間を本能的に求めているのだと思います。 京都にたくさんある寺社には必ずと言っていいほど縁側がありますが、あれもレイヤーを生み出している。さらに言えばその先には軒があり、その下の空間も1つのレイヤーだと思います。このように解釈の仕方によって様々なレイヤーが隠れていることが読み取れます。また、レイヤーの構成はその地域の気候にも左右され、様々な様相を呈します。温暖な気候のスリランカで活動する建築家ジェフリー・バワは、内と外の境界がどこにあるのか分からないような間取りを設計しています。対して僕は厳しい気候の北海道で仕事をしているので空気のレイヤーがどこで分かれるか、つまり内と外の境界を強く意識しながら設計しています。
1)HOKKAIDO LIKERS, 仮小屋をつくる/アイヌの四季の暮らし(3) (記事作成日:2012/9/2 亜璃西社 閲覧日:2017/10/3)
http://www.hokkaidolikers.com/articles/168
上記サイトの画像を一部切り抜き使用した。
― レイヤーのあり方
山口 五十嵐先生の作品の中で、壁や空間のレイヤーを特に意識したものを挙げるとすればどれになりますか。
五十嵐 『ANNEX』という建築は、壁の断面が縁側だったら、というアイデアから設計を始め、壁断面のレイヤーに着目しました。壁と言っても鉄筋コンクリート造と鉄骨造と木造はそれぞれ全く違います。鉄筋コンクリート造は壁断面
が一つの層でできているので壁の中にレイヤーをつくりに
くく、また鉄骨造は熱伝導が大きいので外断熱が理想的ですが、外断熱をしてしまうとレイヤーをあまりつくれなくなります。一方、木造では自然にレイヤーの考え方が現れてきます。外壁、結露防止の通気層、防湿層があって、構造用合板が合わさり、断熱層、石膏ボード、そしてクロスなどの内装材があって仕上がっている。これだけで既に7個くらいのレイヤーがあるのでいろんな断面をつくることができます。『ANNEX』では自分が小さくなって壁断面の中に居座るとどのように感じるかということをイメージしながら設計しています。そういう考え方を可能にするとい
う点で、木造にはすごく可能性を感じています。
『間の門』という建築では開口部自体をレイヤーと捉え、3つの縁側のような空間を設けて、それらをカーテンで仕切っています。そうすることで、空気環境的にも光環境的にもレイヤーができる。空間自体が壁になるようなことを考えました。
小林 『間の門』では、空間を仕切るカーテンのテキスタイルもレイヤーに影響を与えるのではないでしょうか。
五十嵐 布を使っているのは、穏やかに空気環境を制御しつつ、さらに光も身体も通り抜けられる素材が他に無かったからです。もしも将来、SF映画のようにすりぬけられる液体のような半透明の壁が開発されたとしたらそちらを使うかもしれません。
山口 空間をを設計する上で布という素材が重要だったというより、そこで光や人間が通り抜けられることが重要だったのですね。
五十嵐 『間の門』では布を使うことで、空気も光も制御でき、なおかつその光はとても美しいものになる。僕がイメージする空間がより美しくなるのではないか、と無意識に判断したのだと思います。頭の中では覚えていないだけで非常に膨大なことを考え続けていて、その結果が設計する際の選択に結びついているのだと思います。
山口 光の制御という意味では、障子のある空間にも共通するところがある気がします。奥の部屋に行くにつれて暗くなっていき、光のレイヤーができている、という日本建築の暗がりの美しさを求めたところもあるのでしょうか。
五十嵐 『間の門』では暗がりを生み出すことよりも内部 に柔らかい光を届けることが重要です。間接光は直射日光 よりも柔らかく、人間にとって優しいものです。巨大な開口を開けて、透明なことをアピールする建築をよく見かけますが、そういった建築は最終的に一日中カーテンを閉めっぱなしになってしまうことも多い。透明感のある開放的な内部空間が実現していても、そこで過ごす人が快適でなければ意味がない。直射日光を浴ひ続けることは人間にとって必ずしも快適ではないのです。また、熱負荷がとても大きいため、膨大なエネルギーを使って内部をコントロールする必要も生まれます。かといって、改善策として建築を建てた後で応急処置のように遮光や緑化などを施す建築には共感できません。すべてのことが相対的に解けている建築が素晴らしいのだと思います。