左官職人・奥田 信雄 建築家・魚谷 繁礼|伝統の境界を塗り替える
聞き手=潮田 紘樹、千田 記可、得能 孝生、原 泉
2017.6.19 奥田左官工業所にて
京都で京壁を復元し再現することを一筋に追い求めている奥田信雄氏。
同じく京都で建築作品を数多く手がけている魚谷繁礼氏。
二人のこだわりや考えに迫り、いかにして手を取り合い空間をつくりあげていくべきかについて伺う。
― 京壁を塗る
魚谷 奥田さんが左官と出会ったきっかけは何ですか。
奥田 小学校の低学年のときに左官屋が学校の給食センターの壁を塗っていて、たまたま一緒に壁を塗らせてもらったんです。そのときに「素質あるで」と言われ、左官に興味を持ち始めました。その言葉を信じて中学校を卒業してすぐ親方の弟子になり左官を始めたのですが、自分に素質があるとは感じませんでしたね。元から素質のある方もいますが、僕の場合はそうではありませんでした。必死に努力しましたね。
潮田 京都で暮らしていると町家や寺社などの伝統的建築で土壁をよく目にしますが、京壁とはどういったものなのですか。
奥田 京都で発展した土壁を京壁と言い、伝統的な工法を使って塗ります。なぜ京都で土壁が発展したかというと、一つは土壁の原料である良質な土が京都で採れたからです。例えば、ここの和室の壁には京錆土という土が使われていて、これも質の良い土です。もう一つは、美しさを追求した建物が御所を中心にたくさんあって、京都の人々の壁への美意識が高まったからですね。
原 関西には優れた土がたくさんあるのでしょうか。
奥田 そうですね。大阪でも天王寺土などといった良い土が採れます。それに比べて関東ではあまり優れた土は採れませんね。関東ロームの土の質感はあまり土壁に適していません。
魚谷 土壁は下地の出来によって仕上がりも変わってくると思うのですが、左官屋が下地もされるのですか。
奥田 下地は大工がするときも左官屋がするときもあります。今では竹下地が多いですが、当初は藁を使っていました。しかし、藁ではどうしても強度が低いので、それを補強するために竹を編んで入れました。それが今の竹下地の原型になっています。海外の土壁には日干しレンガを下地に使っていますね。
魚谷 京都で土壁を使おうとする際、聚楽土という土をよく耳にしますが、どのような土なのでしょうか。
奥田 聚楽土は日本で一番有名な土です。この土は鴨川が氾濫したときの堆積土であると言われていました。それを豊臣秀吉が気に入って、京都の御土居の外側に撥水剤として塗っていたと言う方もいます。でも、実際は九州の火山灰が風で京都に運ばれてきて堆積したものが聚楽土だという説が有力ですね。今では京都市西部の西陣地区で採れます。聚楽土がなぜそれほど有名になったかというと、他の土に比べて雨に強いからだと思います。土壁の最大の敵はやはり雨で、一般的な土壁は雨に打たれると流れてしまいます。それに対し、聚楽土などは雨に打たれても流されにくいのです。このように土壁の弱点を補っているという点が有名になった主な理由だと思いますね。また、色や風合いなどから利休が最も好んだ土でもあります。
潮田 京壁は耐久性に優れているということですか。
奥田 僕はそのような丈夫な壁を目指していますね。京都の料理屋さんは清潔感を求め、20年ぐらいのスパンで壁を塗り替えたりします。しかし、小間という四畳半より狭い茶室の壁を塗ることが多いのですが、その壁は長い間塗り替えません。小間は味わいと趣を重視した空間で、お茶の世界では壁を大事に見るため、長い間丈夫な壁が塗られてきました。土壁は年月によってその趣が変化するもので、10年後、50年後、100年後で違う雰囲気を見せます。そのような趣の変化を見てもらうためにも丈夫な壁を塗ることに力を入れていますね。また、小間の壁は利休や尾形光琳などが考案した仕上げが施されていることも多く、昔からその時代の文化人による土壁に対する工夫がたくさんありました。
魚谷 奥田さんは自分の思う壁を塗るために道具にもこだわっていますよね。設計をしている人間とは道具に対する意識もまた違うと思います。左官屋にとって鏝は欠かせないものですよね。
奥田 一つ一つ塗る場所や塗り方に適した形をしていて、こだわりを持っています。京都で生まれた中首鏝という鏝があるのですが、定説では明治に入ってからモルタル工事をするために重心を考慮した結果出来たものだと言われています。しかし、江戸時代の終わりのごろの浮世絵に中首鏝が描かれているのです。これはつまり、明治に入る前にはすでに素晴らしい壁があり、単に経済性を追求しただけではなく、美しい壁を塗るための純粋な技術革新によって中首鏝が生まれたということだと思います。昔から左官屋は道具に対する意識が強かったのは確かですね。
― 優れた素材がもたらす空間
原 私たち建築学生は設計演習の際に、素材について深く考えないことが多く、模型制作では白い材料を選びがちで素材へのこだわりがすごく薄いと感じます。大学では土壁などの素材に実際に触れて学ぶ機会が少ないからかもしれません。そういった現状に対してどう思われますか。
魚谷 建築家は材料に頼らずとも良い空間をつくれないといけないかもしれません。そういう意味では白模型は必ずしも悪くはないと思います。伝統的な素材や工法などに頼るとそれだけですばらしく見えて満足してしまいがちです。そのような材料が本当に自分の意図する空間に適しているのかを判断できることも大事です。
奥田 素材へのこだわりを持つためには、その違いをしっかり見極める目を養うことが一番大事だと思います。自然素材がすべてすばらしいということはありません。良いものもあれば悪いものもあります。空間ごとにどのような素材が適しているかを考えて実践することが大切です。その組み合わせによって意図しているような空間ができれば、その素材は自分の中で良いものとみなすことができます。そうした経験の積み重ねによって初めて素材へのこだわりを持つことができるのだと思います。
潮田 具体的にはどのようなこだわりをお持ちですか。
奥田 伝統的な土壁の空間を再現する際には、京都の土のの良さを残すように心がけていますね。聚楽土をはじめとする京都の土は糊を使わないことで雨に強い壁になります。このような仕上げを「水捏ね」仕上げと言い、私たちは一切糊を使用しない聚楽壁によって土そのものを活かした空間をつくります。また、共土での仕上げを頼まれることもあります。共土というのは荒壁の段階で使った土を中塗り、上塗りにも使用するときの土の呼び方です。同じ土をずっと使用することで土の本来の良さが生まれますね。
魚谷 気が付けば最近では土壁や漆喰をよく壁の仕上げに使うようになりました。本当はクロス貼りなどたくさんの種類の仕上げがありますが、伝統的な仕上げを意識していなくても、木造の建築を考えているときは土壁か漆喰のどちらかを選んでいますね。
潮田 それらの仕上げはどのような空間を意図して使っているのですか。
魚谷 特に真壁の建築を設計する際に土壁をよく使います。町家改修の際もそうですが、真壁だとまず柱と梁という線材で空間が成り立っていて、そのうえで土壁を塗って面にする箇所を考える。これには近代建築にも通じるところがあるようで、面白さを感じています。土壁を塗らないところが開口部になるわけですが、目に入る木の柱と土壁とその外に広がる自然の風景との相性がとても良いように思います。
奥田 土壁には日本画の余白と同じ効果があるのだと思います。つまり、土壁は開口部から見える景色をより引き立てているのですね。