壁のない住居-タイ系諸族の伝統的住居|布野修司
House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes
― 東南アジアの住居―その起源・伝播・類型・変容
東南アジアを歩き出しておよそ40年、その最初の成果である学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究-ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学、1987年)-そのエッセンスをまとめたのが『カンポンの世界』(パルコ出版、1991年)である-を書いてからも既に30年になる。東南アジアの民家(ヴァナキュラー建築)については、『地域の生態系に基づく住居システムに関する研究』(主査 布野修司) (Ⅰ: 1981年,Ⅱ:1991年,住宅総合研究財団)以降、『アジア都市建築史』(布野修司編,アジア都市建築研究会,昭和堂,2003年:『亜州城市建築史』胡恵琴・沈謡訳,中国建築工業出版社,2009年)、『世界住居誌』(布野修司編,昭和堂,2005年:『世界住居』胡恵琴訳,中国建築工業出版社,2010年)などによって概観はしてきたけれど、ようやく独自に、『東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』(布野修司+田中麻里+ナウィット・オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット,京都大学学術出版会,2017年)をまとめることができた。「壁」を念頭に、そのエッセンスを紹介しよう。
― 顔のない家
R.ウォータソンは、その名著『生きている住まい-東南アジア建築人類学』(Waterson, Roxana (1990), 布野修司監訳(1997))で1章を割いて、ヨーロッパ人が、東南アジアの住居を見て如何に嫌悪感に近い違和感を抱いたかについて書いている1)。住居は暗くて、煙たく、混雑しすぎで、天井や壁はすすで汚れ、
隅には蜘蛛の巣がはり、床は鶏の糞やビンロウの実のカスで覆われ、アリやゴキブリやムカデやサソリが這いまわっており、床下には豚や鶏が飼われていて平気で残り物が捨てられ、不潔だ……云々は、さもありなんであるが、興味深いのは、住居そのものが死んだようにみえた、ことである。
タニンバルの住居の「足の上に屋根がかぶさるというというその形態」(Drabbe(1940))が「死んでる」ように思えたというのであるが、建物が「足」を持っていること、すなわち高床であることに違和感があった。そして、足すなわち高床の杭(基礎)柱であるが、それ以外は頭(屋根)だけで、顔と胴体すなわち壁がない、眼(窓)がない、というのが気持ち悪いのである(図1)。
「彼らの住居は、床と屋根以外なにもないが、とても巧妙な構造をしている……ほとんどすべてのものが、素晴らしい趣味と驚くべき技術でつくりあげられる彫刻によっていかに精巧に覆われているかをみたあと、……彼らが野蛮人であるのか。……野蛮人とは何か」(Forbes(1885))という極めて高い評価もあるけれど、ヨーロッパ人には、東南アジアの住居には壁がなく、従って窓もないことは、実に奇妙に思えたのである。
1)「2 建築形式の知覚:土着とコロニアル」(布野修司監訳:生きている住まい-東南アジア建築人類学(ロクサ-ナ·ウオ-タソン著,アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,学芸出版社,1997年).